温泉の"最古"あれこれ

 世界中で温泉を楽しむ方々が増えていますが、広く知られているところでは、古代ローマの温泉の遺跡など、数千年前から実際に入浴していたという痕跡が見つかっています。日本においてはどうでしょうか。
 "温泉教授"松田忠徳先生の著書「温泉手帳:東京書籍」によりますと、昭和39年に、JR中央本線上諏訪駅前のデパート建設工事中に約6,000千年前の縄文時代の片羽町遺跡から、日本で最も古いとされる温泉の痕跡が見つかっています。現在の諏訪温泉のルーツとも呼べるものでしょうか。
 もともとは、縄文時代以前から温泉は“野湯”だったでしょうから、猿や鹿や熊などが入浴していたとしても何の不思議もありません。今でも長野県の野猿公園で、雪の中親子で仲良く気持ちよさそうに温泉に入浴する猿の姿を、メディア等で目にすることがあります。同じように、縄文人が利用していたとしても不思議はないですね。
 日本の多くの温泉地には、検証は難しいもののさまざまな神話や伝説が残されています。日本最古の温泉というと、道後・有馬・玉造・別所・飯坂・白浜などの温泉地の名前が挙がりますが、今回はその根拠を整理してみたいと思います。(基準は、人間が利用、活用していたこと・史実である事・事実と思える状況証拠があること。)

<日本最古の温泉宿>
 日本最古の温泉宿(世界で最も歴史のある旅館)として、ギネスブックに認定されている旅館があります。2011年6月に記録が塗り替えられニュースにもなったため広く知られていると思いますが、705年に藤原鎌足の長男藤原真人が開湯した山梨県西山温泉「慶雲館」が、「世界で最も歴史ある温泉宿」として2011年新たに認定されました。それまでは、718年に霊峰白山開山の祖、泰澄大師が開湯した北陸粟津温泉「法師」が最古と認定されていました。
 また、同時期に開湯した温泉宿はもう1軒あります。717年に開湯した城崎温泉「古まん」で、「法師」「慶雲館」「古まん」の3軒は、700年代初期に営業をしていたことが知られています。ただ、今のような宿泊施設の形態と違い、温泉に入れる施設としてのみ、営まれていたとの説もあるようです。
粟津温泉:法師 西山温泉:慶雲館 城崎温泉 古まん
(粟津温泉:法師)     (西山温泉:慶雲館)    (城崎温泉 古まん)

<現存する入浴可能な日本最古の湯船>
 現存している今でも入浴できる日本最古の湯船として候補に挙がるのは、波打ち際の露店風呂で、「日本書紀」記載当時のままと言われる白浜温泉「崎の湯」658年に斉明天皇が、後の天智天応と行幸したことが日本書紀に記載されています。(当時は、牟婁温泉と称していた。)
 個人所有の露天風呂として解放されている妙見温泉「和気湯」も、奈良時代(700年代後半)にこの地に流された和気清麻呂(733年―799年)が入湯したことで後世になってこの名が付いた言われる歴史ある湯船です。和気清麻呂は実在の人物で、平安遷都の提案者だったとも言われています。
 また、「鎌倉大草子」他多くの書物に記載される湯の峰温泉「つぼ湯」も古く、小栗判官伝説で知られています。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録された温泉で、一日に7回お湯の色が変化することでも有名で、実質的には日本最古の共同浴場とも言われています。
※日本三古湯で有名な道後温泉や有馬温泉では、当時のままの湯船(温泉が湧いている場所)は残っていないとのこと
白浜温泉:崎の湯 妙見温泉 和気湯 湯の峰温泉:つぼ湯
(白浜温泉:崎の湯)    (妙見温泉 和気湯)    (湯の峰温泉:つぼ湯)

<日本最古の温泉木造建築>
日本で最も古い温泉木造建築は群馬県四万温泉の「積善館」で、1691年建造と言われています。今も本館として営業していますので、是非一度は訪れる価値有です。「元禄の湯」も超レトロですよ!!
ちなみに、日本最古のホテル建造物は「日光金谷ホテル」で、1893年にホテルとして開業しています。その前身の外国人向けの民宿「金谷カッテージイン」は、1873年の開業です。
積善館 日光金谷ホテル
(積善館)         (日光金谷ホテル)

<日本最古の温泉地>
 「日本で最も古い温泉」というと日本三古湯として知られる「道後温泉」「有馬温泉」「南紀白浜温泉」が思い浮かぶでしょう。また「玉造温泉」「別所温泉」「湯の峰温泉」などではないかと言う方々も。日本最古の歴史書「古事記」(712年)や日本に伝存する最古の正史「日本書紀」(720年)などに記される温泉の記述が、それらの根拠になっています。
 日本には神話や伝聞が沢山あり、その地方独特の「風土記」や言い伝えも全国に沢山残っています。温泉地へ行くと「最も古いと言われている温泉」や、「神様の誰々が発見した」などという幾多の伝説が残されているのを、見たり聞いたりした方々も多くいらっしゃると思います。温泉は神社参拝の際の"禊(みそぎ)の場"として利用されていたという説からも、神教と結びつくさまざまな伝説が多いのかも知れません。
 ここで、松田先生の「温泉手帳」及び「花鳥風月庵」というブログに掲載されている「日本最古の温泉考」を参考にさせていただき、整理したいと思います。まずはそれぞれの温泉地ごとに根拠となっている事柄を述べます。

○道後温泉
①出雲の国の大国主命が少彦名命と伊予へ旅をしたときに、急病に苦しむ小彦名命を道後温泉へ入浴させるとたちまち元気を取り戻し、喜んだ命は石の上で踊りだした。(江戸時代 伊予国風土記逸文)
②軽太子が近親相姦の罪で伊予の湯へ流された。(古事記712年)
③景行天皇と后、仲哀天皇と神功皇后、596年には聖徳太子が僧侶恵慈らを従えて道後温泉に来浴した。(江戸時代 伊予国風土記逸文)
④舒明天皇(639)、斉明天皇、天智天皇、天武天皇が行幸した。(日本書紀720年)

○玉造温泉
①大国主命とともに国造りをした少彦名命が発見した。(伝聞:不明)
②「一度浸かれば見目麗しく、再び浸かれば万病に効く湯」として親しまれていたことが、記載されている。(「出雲国風土記」714年)

○有馬温泉
①大国主命と少彦名命が三羽の傷ついた鳥が湧きだした泉で傷を癒しているのを見つけて温泉を発見したのが始まり。(伝聞・不明)
②舒明天皇(631年)や孝徳天皇が行幸した。(古事記:712年、日本書記:720年)

○別所温泉
①景行天皇の時代、日本武尊(ヤマトタケルのみこと)が東征の時、霞が立ち込めた保福寺峠であった老翁に「この山中に七つの湯が沸きこれが人々の七つの苦を助ける、、、、」と教えられ、尊が山中を探すと七つの出湯があり、遠征中の兵士の苦を癒すことが出来たことから「七苦離の湯」と名付けた。(伝聞:不明)

○飯坂温泉
①2世紀に日本武尊(ヤマトタケル)が東征のときに左波子湯に浸かって病気を治したという伝説がある。(伝聞:不明)

○湯の峰温泉
①政務天皇の時代、後の湯屋権現である大阿斗足尼(熊野の国造:領主)が発見し、その場所(東光寺)に湯屋を立て熊野本宮大社の潔斎場とした。(旧字本記:巻十国造本記806年~936年)
②浄瑠璃などで知られる小栗判官が蘇生した(1415年)というつぼ湯が現存。2004年日本唯一の世界遺産登録の温泉となる。(今でも存在)

○白浜温泉
①大化の改新の後まもなく、有馬皇子(640~58)が斉明天皇と中大兄皇子(後の天智天皇)に牟婁の湯への行幸を勧め、その間に謀反を企てたという冤罪で自殺に追い込まれた(658年)。(日本書記720年)
②今も往古のままだという露天風呂が海岸(湯の崎)に沸いていて、「日本最古の露天風呂」と称される。(今でも存在)

○武雄温泉
①郡(こおり=武雄があった地域)の西の方に温泉の出るところがあるが、岩が険しいので人があまりいかない)との記載あり。(備前風土記 714年頃)

○粟津温泉
①718年(養老2年)に白山を開山した名僧泰澄(たいちょう)大師が夢のおつげにより発見した。(泰澄和尚伝記、1325年)

○湯河原温泉
①万葉集にこの温泉の歌が記載されている。(万葉集、759年)

 上記の様に伝聞不明という部分も多く、このような話は日本全国の温泉地に多々あることから根拠から除外し、歴史に残り記載されているものだけで整理すると、以下の表の様になります。


No. 温泉地 年代 歴史書
1 道後温泉 景行天皇行幸(71年~130年) 伊予国風土記逸文 江戸時代
2 有馬温泉 舒明天皇行幸(631年) 日本書記(720年)
古事記(712年)
3 白浜温泉 斉明天皇行幸(658年) 日本書記(720年)

 こちらの表だけ見ると道後温泉が最も古い温泉ということになりますが、歴史書の「伊予国風土記逸文」が江戸時代に書かれていることに疑問が残ります。風土記は、713年に朝廷からの命で各国から収集したもので、当時の形で完全に残されているものは「出雲国風土記」のみとされ、完全ではないもののある程度現存していると言われているのが「常陸国風土記」「播磨国風土記」「豊後国風土記」「肥前国風土記」です。その他は逸文として江戸時代から収集されたものです。そうなると、「伊予国風土記逸文」に記載されている景行天皇の行幸は、1000年以上前のことを江戸時代に書いたことになり、その信憑性は低いといわざる負えません。一方「古事記」では、「道後温泉 軽太子が伊予の湯に流される(435年)」の記述が残っています。このことから考えると、やはり歴史書からは道後温泉が最も古い温泉地と考えるのが妥当ではないでしょうか。

 また、伝説に目を向けると、別所温泉や飯坂温泉はいわばよそ者の英雄が偶然発見したお湯という類からして、後世の人達が後付したものだと推測されます。しかし、そうとも言えない温泉地があります。それは「湯の峰温泉」で、以下の状況証拠から比較的信憑性が高いと思われます。

●「大阿斗足尼」は「旧事本記」によれば大和朝廷から遣わされた実在の国造(領主)である。
●実際に発見した人物が違っていても、領主が見つけたということになっても不自然ではない。
●湯の峰に「大阿斗足尼塚」が現存している。
●大阿斗足尼は、湯屋権現(湯野権現、温泉の神様)と言われ、全国の温泉で湯屋権現ないしは熊野権現(熊野神社)が温泉の神として祭られていることを思うと、それより以前の時代から湯野権現(熊野神社)が温泉の神として全国に認められているということになる。
●熊野神社は、出雲大社とならぶ日本最古級と称する神社だが、この熊野三山は12代景行天皇(71~130)の時代からの歴史があり、湯の峰温泉は熊野古道の湯峰王子として、遅くとも平安時代には熊野三山参拝を終えた貴族らが訪れる湯垢離(ゆごり:身を清める)の場となっていたということが記録に残っている。
●「第16代仁徳天皇の、御代(319~399)に、裸行上人という印度から渡来した大徳あり、熊野三山苦行の砌り、悪霊によりこの地に来たり、この湯の花化石薬師如来の尊像を感得せられ、一切衆生の病苦を救うために、ここに尊像の周囲に草案を結び、東光寺を開碁せられた。」いう言い伝えが残っている。ここにも裸行上人が登場し、東光寺に現存している「湯胸薬師」の話が登場する。(湯胸が、変化して湯の峰となった説有)
 これだけの状況証拠があると、湯の峰温泉については歴史書に直接記載が無くても、まず13代成務天皇時代(131~190年)に発見されたというのは正しい伝えではないかと思われます。
 つまり、今回のお話の結論としては以下の様になります。


No. 温泉地 年代 歴史書
1 湯の峰温泉 大阿斗足尼発見
13代成務天皇(131~190年)
旧事本記(806~946年)
2 道後温泉 軽太子が伊予の湯に流される(435年) 古事記(712年)
3 有馬温泉 舒明天皇行幸(631年) 日本書記(720年)
古事記(712年)

 異論も数多くあることと思いますが、歴史書と信頼に足る伝聞を裏付ける史実をもとに紐解くと、上記の様になると思われます。古代ローマの様に、5千年前の浴場跡でも残っていればいいのですが、現在のところは新たな発見が待たれるところです。温泉ファンの皆様からのさまざまなご意見をいただければ幸いです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

<今回のおさらい>
※2015年3月現在

歴史書の記載から古いのは 道後温泉
実際に最古の温泉と考えられるのは 湯の峰温泉
最古の湯船と思われるものは 白浜温泉「崎の湯」
最古の温泉宿は 西山温泉「慶雲館」
現存する日本最古の温泉建造物 四万温泉「積善館」
最古の温泉痕跡 長野県片羽町遺跡の温泉跡(諏訪湖温泉)

道後温泉本館 湯の峰温泉
(道後温泉本館)       (湯の峰温泉)

 以上となります。ぜひ皆様と一緒に各温泉地を巡ってみたいですね。行ってみたくなりませんか。例えば「白浜温泉“崎の湯”&湯の峰温泉を巡る旅」、「四万温泉“積善館”&法師温泉を巡る旅」、「西山温泉“慶雲館”&奈良田温泉を巡る旅」などなど。松田先生の解説付きとなれば、最高です!!(by事務局 2015年3月)

<参考文献>
「温泉手帳」東京書籍 松田忠徳著
「日本の千年湯」株式会社新潮社 松田忠徳著
「花鳥風月庵」ブログ

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